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another side of tennis

[Another Side of Tennis] 坂東海

新宿ゴールデン街バーの片隅のテニスと音楽の与太話です。
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01

Scene 311 [ハンドリング]

「両手離し出来る様になったよ。見てて」
強張った笑顔で、ちょっとフラついてるものの自転車は真っ直ぐ走ってる。
「両手離し出来る?」
「えっ?ああ〜出来るよ」
と言ったものの、両手を離す直前エラく緊張した。
フラついたものの何とか出来た。
威厳を見せ様と「こんな事もしてたなあ」と腕組みして走ったりもしたが、冷や冷やもん。
小4の娘はもっと上手くなるんだろうが、明日になれば両手離しやるなんて閃かないだろうこっちは、次の時に出来る出来ないじゃなくて、一生やらないかもだ。

闇雲に突っ走って来て、気付けば周りに人が増え、助けてもらったり、役割をシェアしたり、その結果自分の力が大きくなる。
「どうでもいいぜ」って顔ばかりして来た俺でさえそうだ。

新聞、テレビからは、「こいつはどこでどう間違ったのかねえ」と言いたくなる様な無様なハンドリングを見せる連中の話が毎日流れてる。
昨日今日の話じゃあない。
未来永劫こうなのか。

走り始めた頃、ふらつくハンドルをしっかり握ってペダルを漕ぐ。
加速して行き、余裕が出来て片手を離したり、両手を離したり。
でも上り坂に差し掛かれば又両手でハンドルを握って脚に力を込めなきゃだ。

仕事もそんなもんだろ。
誰かに任せたハンドルがブレればふらつく。
ふらついたら又ハンドルを握って力強くゆっくり漕ぎ出すだけだ。
その繰り返し。

選手の活躍や、沢山の笑顔。
手放しで喜べる時が何度も来る事を信じて……。
カテゴリー:Tennis
07/10 23:52
02

Scene 310 [Inside of Wimbledon]

「水を得た魚でしたね」

トップ選手と世界を廻っていたツアーコーチの言葉。

「フレンチでテニス嫌いになる位身も心もズタボロになって、芝でのこの4週間は本当選手達にとっていい息抜きなんですよ」

ふ?ん、インサイダーはそう見るわけね。
クルム伊達公子選手の熱闘後の会話。

そして昨夜西新宿の寿司屋。
「あのフォアハンドはいいでしょう!?」
「2回戦勝っていきなりあの赤いラケットが売れたとかあったんですか?」
「いやあれ7月発売なんですよ。見ますか?」
末席にいた若い営業マンが、黒、赤、青のラケット3本を取り出した。
いい。
持っただけで(おっ、これいいじゃん)と感じるラケットがある。
先週のINSTINCTもそうだったし、このX2.0もそうだ。
「SRIXONっていいですよねえ、カッコいいし。何で売れないんだろうなあ」
「そうなんです。ほんまお願いしますわ」

土居美咲選手は森上亜希子選手の最後の全日本で当たった時以来観れていない。
あの時は森上亜希子選手引退への思い入れが強過ぎて、正直冷静に観てなかったが、メーカー担当者がプレースタイルを絶賛するという事は今後への期待が物凄いんだろう。

さて今夜は調布の美味い牛タン屋で暴れん坊だった先輩を偲ぶ会の七回目。
でも11時迄には帰らないと。
えっ?無理???

カテゴリー:Tennis
06/25 16:14
03

Scene 309 [最初はグー]

「お父さん、最初はグーって志村けんが発明したって知ってた?」
「えっ!本当?」

実は(いつから「最初はグー」ってやる様になったんだろう?)と常々思ってた。
それが志村けんからだったとは意外。
ガキの頃からドリフ好きで、DVDボックスは全部手に入れているのに。
オレたちひょうきん族を観る様になってドリフから離れた後のギャグか。

「最初はグー、またまたグー、いかりや長介頭がパー、正義は勝つとは限らない、アイーンと一発、ジャンケンポン!」
娘は俺が知らなかった事に優越感を覚えたのか延々繰り返してる。
ありがとう!ドリフ。
おかげ様で俺は小学生以来ずっと「落ち着かないガキ」のままです。

こんな話を次の日ゴルフに向かう車の中で話したら、あっさり「知らなかったの?」と言われた。
おまけに「ガッツポーズだってガッツ石松からだぜ!」と来た。
これは今思えば何か聞いた記憶もあるが、その時点では初耳。
「ええ〜っ!じゃあNHKのアナウンサーが『ナダル得意のガッツポーズ出ました!』なんてやってるのもそのまま英語に訳せないってこと?!」
う〜む、これは微妙に笑える。
ガッツ石松さんに「君がエースを獲った時に、左拳を握って突き出すあれね、私の発明でガッツポーズって言うんだよ」と、ナダル選手に言わせてみたい。
まあちょっと調べると、このガッツポーズの発祥は諸説あるみたいだが、和製英語には変りないし、ガッツ石松さんからブレーク?したのも間違いない。

そんな訳で子供達が「最初はグー!」ってやってる事と、ナダル選手のガッツポーズにシンパシーを感じている。
大袈裟に言えば伝統芸能の継承ってヤツだ。

拝啓Superfly殿、貴女の唄にもシンパシー感じまくってます。
到底届かないキーで、
“つまり肝心なのはユーモア 五感を奮い立てろ Shine on,move on!”
と夜な夜な皆で“Alright!!”を唄い、ヘヴィーな状況を笑いに変えて乗り越えようとしてるプロテニスコーチ達がいる事をここに記しておきます。
カテゴリー:word
06/10 10:03
04

Scene 308 [Tennis Club]

中学校入学と同時にテニス部に入部した。
もう云十年前のこと。
朝練、昼休み、部活と一日中練習した。
今時は殆どの学校が、部活以外の時間は練習出来ないらしい。
母校のコートは部活時間以外鍵がかかってるそうだ。
某強豪校の強面で有名なテニス部顧問にその話を確認したら、
「そりゃそうですよ!正式な部活時間以外に顧問がいない時に事故が起きたら誰が責任取るんだって事になって大変ですから!」
この人がこう言うんだからまあどうしようもないんだろう。

まあそれはさておき、中学校の時、もっと練習がしたくて皆で金を出し合ってテニスクラブのレンタルコートを借りたりもした。
あの頃テニススクールはまだ伊勢丹、東急、京王といった百貨店系列が目立つ位で、ジュニアもテニスクラブ所属が多かった気がする。
以前も触れたが田園クラブでジャパンオープンが開催されていたり、テニスクラブが日本のテニス文化を形作って行った感がある。

その後テニススクールがどんどん増えるのとは逆に、テニスクラブは相続絡みでの閉鎖とか、パッとしない感があった。
憧れ故の敷居の高さか、若い人の入会が減り、メンバーさんの高齢化もあった。
実際自分にしてみてもスクール業界の事は知っていても、クラブ業界の事は殆ど知らなかった。
正直なところクラブ業界そのものを"高齢化"のイメージで見ていた気がする。
伊達選手の育ち方から、クラブってものがジュニア育成には大きな力を持つとは感じてはいたのだが。

それが今日、首都圏のクラブ関係者の集まりに呼ばれて驚いた。
若い。
どのクラブの代表も若い。
元気がいい。
熱い。
ついでに皆エラく仲がいい。
今日の会合場所は西武新宿線上石神井の線路沿いにあるクラブ。
この駅には徒歩圏内に3つのクラブが共存しているという"奇跡の三角地帯"。
おまけに3クラブ共に手入れの行き届いた素晴らしいクレーコートを持ってる。
そして自分達のクレーコートがジュニアにとってどの位価値があるものなのかを知っている。
将来ここからトップ選手が出るかもしれない。
いや、各地のテニスクラブからそれぞれの地域をあげて応援したくなる選手が出るはずだ。
カテゴリー:Tennis
05/25 12:24
05

Scene 307 [GUTS FOR JAPAN TENNIS]

5月5日、有明テニスの森公園。
48面全てを使ってのイベント。
有明の森スポーツフェスタ2011

センターコートではバトミントン。
コート周りではランニング。
コートもCコートの4面は軟式テニス。
硬式テニスだけでないスポーツフェスティバル。

前乗スタッフは前日から設営。
有明全体のデコレーションはとんでもない作業。
笑いながら呆れながら諦めながら、年老いた少年達がフラフラとノボリを立ててる。
夕飯は当然居酒屋。
いつもなら数件ハシゴする面子ながら、あっさり一軒、しかも短めで終了。

そして翌朝。
7時過ぎから当日準備開始。
集合時間の大分前からスタッフが集まり出し、
沢山のテニス・キッズが来場し、イベントがスタート。
スタッフは揃いの「がんばろう日本!」Tシャツ
そしてあっという間の大団円。

これが一回目。
おそらくこれから毎年続くイベントになるんだろう。
ふと思う。
(あの震災の年に始まったイベントと後々は言われるのかな)
ガキの頃は生まれた年を聞かれると決まってこう答えたもんだ。
「東京オリンピックの年に生まれました!」
まあ今じゃ何才か聞かれもしないが。

そんな震災の年。
西武新宿線の上石神井に新しいインドアテニススクールがオープンした。
オープン迄後1ヶ月ちょっとって時の震災。
幸い工事中の施設に影響はなかったが、ダンプが採石場に入れない、ガソリンがなく職人さんが車を出せないで、オープンが遅れた。
先日無事にオープン。
震災の年にオープン出来たテニススクール。
いいスクールになりそうだ。

震災の年。
GUTS FOR JAPAN TENNIS!
カテゴリー:Tennis
05/10 11:25
06

Scene 306 [I LOVE YOU VERY MUCH]

都庁での運転免許更新。
あっと言う間に事務手続きが済み、後は講習のみ。
去年スピードで捕まっちまったから1時間の講習。
開始時間迄50分近くある。
昼には早いがアイランドタワーのバーガーキングで、レタスを増量したワッパーJrにかぶりつきながらiPadでメールをチェック。
東レPPO事務局から「東レ パン・パシフィック・テニス 東日本大震災 被災者・被災地支援チャリティ・オークション」への協力依頼のメール。
勿論快諾の返信。
東レPPOの会場でもある有明テニスの森公園は、液状化やひび割れで数面がプロが使用するには不適切な状態のままと聞いている。
秋の「東レPPO」、「ジャパンオープン」には間に合ってほしい。
その前に原発の問題が少しでも片付いて、トップ選手達が安心して来日してくれればいいが。

都庁に戻り、さっきとは別の入口から中に入ろうとしたら「被災地への支援物資の受付は締切」といった旨の地味な張り紙。
(沢山届けられたんだろうな)とドアを開けたら、旧グランドプリンス赤坂への避難者の第二次受付のカウンター。
節電で薄暗いロビーに折り畳みの机とパイプ椅子の急造の受付。
俺が見た時は3人が相談していて後ろに待っている人はいなかった。
少しづつ良くなっている証と受け止めたい。

“風が憎しみと 恐怖を運ぶ 戦いの中では 愛も死んでしまう”

奴と付き合いだした頃のバラードの歌詞。
チェルノブイリの事故から明日で25年。
歴史は繰り返すってやつか。
そのバラードのタイトルはI.L.Y.V.M。
最後はこう唄われる。

“震えてるおまえの そのかたわらに 青ざめたこの俺を すべり込ませてくれ
苦しみは もう終わる 君の目の前に 俺はあらわれた 今 世界を変える”

大事な誰かの為に、大事な何かの為に、強い意志を持って生きて行くんだ。

I LOVE YOU VERY MUCH
カテゴリー:word
04/25 23:30
07

Scene 305 [地の塩]

正直バランスを崩しそうになる。
逃げようのない真実と、自分のやるべき事さえも否定される様なシチュエーション。
それでも延々と続いて行く日常……だからこそ、生きて行けるのだが。
どうにかこうにか自分と社会をつなぎ止めて来た責任感と、街の底を這いずり廻って身につけたブラックユーモアで何とか立っている様なもんだ。

ミッション系中学校の入学式の式次第。
聖書の“地の塩”が記載されている。
俺はすぐにストーンズの“地の塩”を頭の中で鳴らした。

Let's drink to the hard working people
Let's drink to the salt of the earth

いや実際には1989年のストーンズのアトランティックでのショーに、アクセル・ローズとイジー・ストラドリンが飛び入りした時の映像を思い起していた。

Raise your glass to the hard working people
Let's drink to the uncounted heads
Let's think of the wavering millions
Who need leaders but get gamblers instead

神様、罰当たりな俺でもわかったよ。
今夜はこれを聴けって事だな。
カテゴリー:Stones
04/10 15:20
08

Scene 304 [出来る事。やるべき事]

住宅街の真ん中のテニススクール。
強化ジュニアのレッスン。
試合が近い子供達はコートを大きく使った練習。
隣コートでは試合がない子供達がコーチとのラリー。
更にその奥のコートは球出し。
それぞれのスケジュールに合わせたコート分け。
いつもと違うのは、4面あるうちの2面しか照明を点けていないこと。
東日本大震災からの復興への協力。

照明が点いているコートには試合が近い子供達。
奥に行って暗くなる程試合が遠い子供達。
どのコートの子供達もイキイキとプレーしている。
何とか照明が届いている一番奥のコートの子供達の集中振りがいい。
しばらくすると目が慣れて来たのか、奥のコートもラリーを始め出した。

被災地、被災者の方達への想いと復興への願い。
自らが挑戦している物事へのひたむきな姿勢。
自分が出来る限りの協力をする。
自分がやるべき事を精一杯やる。
半分照明が落ちたコートでプレーした子供達の一人でも多くにそれを感じていてほしい。
いや、もし今わからなくてもいつかきっとわかる。
カテゴリー:Tennis
03/25 09:14
09

Scene 303 [PASSION!NOT,FASHION!]

生まれ育った時代なのか、家が商売やっていたからなのか、常にブルーカラー側でいたいし、ホワイトカラーは好きじゃない。
でもスーツを着るのは嫌いじゃない。
Officeに頻繁に行かなければならなくなって、スーツを毎日着る様になった時、まず最初に買ったのはズボンプレッサー。
今もスーツを脱いだ後は、酔っ払っていようがいまいが、真っ先にズボンをプレスする。
お気に入りの黒地に水玉のネクタイはいろんな種類持ってる。
これはディランの影響か。
とにかくお洒落するのは好きだ。

だけど長時間スーツを着てるとシワが気になって仕方ない。
ずっとネクタイを絞めてると襟が汚れる気がして嫌だ。
という訳で最近は黒のブレザーをメインにパンツ組み合わせるのが好き。
まあ人のファッションにはそれぞれ理由とこだわりがあるってことで。

テニスウェアはサーブのトスアップの時に脇が突っ張らない事が最大のポイント。
そんな感じだから普段はタイトなカッコをしてるくせに、必ず大きめを買う。
色は黒とか赤とか黄色とかハッキリしてる濃い色。
練習の時は好きなTシャツ。
ジャパンオープンとかツアー大会では、プロ達が練習の時に何着てるか見るのが好きだ。
殆どがTシャツにスウェットなんだけど、それぞれお国柄、人柄?
とにかく面白い。

“PASSION!NOT,FASHION!PASSION!”
ファッションはパッションが絡めばなお楽しい。
カテゴリー:word
03/10 08:22
10

Scene 302 [新宿の片隅で]

唐突だが新宿生まれだ。
しかも歌舞伎町生まれ。
この世に放り出された場所は歌舞伎町2丁目。

ストーンズの初来日の前の年だったか。
歌舞伎町で呑む様になってもうどの位経つんだろう。
渋谷の小さなパブから始まり、下北沢、吉祥寺と呑む場所は変ったが、新宿、いやゴールデン街が圧倒的に長い。
呑み出した頃は靖国通りでタクシーをつかまえるのが難しかったから、終電を逃してタクシーの時は職安通りの西武新宿線のガード辺りまで歩いてから乗った。
今じゃ靖国通りは客待ちタクシーのオンパレードだが。
そんな事を夜な夜な繰り返しながらも自分が新宿生まれだって事は忘れていた。

朝までやってる「北京」で美味い焼き餃子とビールで〆るのが好きだった頃。
[北京]を出ていつも通り西武新宿駅の方に行かずに裏手の道で職安通りに向った。
そこにはどデカイ病院がいつの間にか建っていた。
大久保病院。
「僕は雪の降る夜大久保病院で生まれた」
そんな文章を思い出した。
小学校の時の作文、我がおいたちの記って奴だ。
(あ?そうだったなあ)とタクシーのシートに身を沈めた。

あの頃は終電だと呑み足りなくて、終電が出る頃が盛り上がりのピーク。
そしていつも26時位に帰りたくなっては朝まで店で粘って始発で帰った。
金があれば勿論タクシー。
全く呑気なもんだ。

そんな事を思い出しながら百人町の交差点辺りを歩く。
転んで骨折して入院してるお袋の見舞いの帰り。
幸い手術も昨日成功してリハビリもすぐ始められそうとのこと。
(足じゃなくて良かったなあ……)と職安通りを大久保病院方に歩きながら、ビルの上の青空を見た時ふと思った。
(テニスやってて良かったな)
あっ、テニスやらしてくれて良かったなだな。
いやいや、テニスやらしてくれてありがとうだ。
カテゴリー:SION
02/25 23:34
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