[Another Side of Tennis] 坂東海 カテゴリー:Dylan
新宿ゴールデン街バーの片隅のテニスと音楽の与太話です。
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01
Scene 292 [毎日がテニスの日]
「男の子、男性は手を叩いて下さ?い!」
「次は女の子、女性は手を叩いて下さ?い!」
「じゃあ今度は学年別に行こうかな。まずは1年生!」
体育館に集まった児童とその家族を前にシンガーは、“リサーチ”から講演ライヴをスタートさせた。
その後はバイオリンでJRの踏切の音、次に小田急線の踏切の音、更には会場沿線の西武線の踏切の音を再現してみせて、会場に感嘆と親近感を覚えさせ、演奏に入って行った。
シンガーの名前は“増田太郎”。
20歳で失明したというプロフィールを臆せず、デフォルメもせず、エンターテイメントする姿に、今更ながら(人ってのはコミュニケーションが大事で、それが自分が好きな事、得意な事で出来るのは素晴らしい事なんだな)と改めて気付かされる。
オーラス前、「エッセイにもつけたタイトル」と“毎日が歌ってる”という曲が始まった。
(“毎日歌ってる”じゃなくて“毎日が歌ってる”なんだ)と、[が]が入らないその訳や、そう表現したい彼の感性に想いを馳せて聴き入る。
“やれるんだ 出来るんだ 今の自分でも こんな自分じゃ 何一つ 出来ないと思ってた 描いてた未来とは少し違うけど あの頃より確かに僕の毎日が歌ってる”
そんな歌詞を青臭く感じず聴いてる自分にちょっと驚いていると、一昨日の豪雨の有明でのワンシーンを思い出した。
一昨日、9月23日はテニスの日。
この日を中心に趣向を凝らしたイベントが日本各地で行われている。
“聖地”有明テニスの森はそのメイン会場として、テニス界のいろんなポジションの人達がボランティアとして駆けつけ、テニスへの感謝の気持ちを込め、様々なイベントを行う。
スタッフの為に用意される弁当の数は約300個。
前日仕込みをしたスタッフが当日も早出で、7時前からどんより曇った空の下で設営を開始。
僅かに用意されている当日受付分を目指すテニスフリークも既にチラホラ。
大半のスタッフも集合時間よりかなり早く集まって来ている。
「何とか午前中、ボレーボレー迄は出来そうだね」
「始まっちゃえば何とかなるよ」
でも、不安を打ち消そうとそんな言葉を掛け合い、会場を作り上げて行くスタッフ達の上に雨が落ちて来た。
最初は「大丈夫!大丈夫!」と言っていられたが、雨粒は見る見るうちに大きくなり、ハードコートは水浸し。
「砂入り人工芝はまだ行ける」と言ってるうちに更に雨脚は強くなり、無情の中止。
それでも集まってくれた数百人の人達の為に何とかしようと、各メーカーはお土産を用意し、翌日から予選開始の東レPPOはコロシアムでの選手の練習を数時間見学可としてくれる等粋なはからいを見せてくれた。
そしてコーチ達は雨が止んだ隙をついて、何とかプレーが出来そうな砂入り人工芝コートに飛び出して行ってワンポイントレッスン開始。
それなのに又雨。
それもいきなりバケツをひっくり返した様な雨、“Buckets Of Rain”。
“やらなきゃいけないことをやるだけだよ。だからうまく行くんだ”
(Buckets Of Rain/Bob Dylan)
あの激しい雨の中、コートから出てくる人達の顔は皆笑顔だった。
撤収作業が終り、学生ボランティアへテニスの日実行委員長が挨拶。
感謝の言葉の合間に彼はこう言った。
「我々テニス界で生きる者にとっては毎日がテニスの日だ」
同じ場にいたプロテニスコーチ達は皆頷き、気持ちが通じ合っているのが良くわかった。
常にテニスを愛し、広めたいという気持ちが学生達に伝わっただろうか。
学校ライヴのシンガーも、単に子供ウケを狙う事は出来たんだろう。
でもショートカットの言葉や振る舞いは心には残らない。
その時届かなくても、心の片隅に残っていた言葉を噛み締める夜は無数にある。
誰かに、何かに、真摯に向き合う時が来た時に、フラッシュバックする言葉、想いは俺等の心の扉の中にあるんだぜ。
2010年9月23日、有明にいた全てのテニスフリークに感謝します。
「次は女の子、女性は手を叩いて下さ?い!」
「じゃあ今度は学年別に行こうかな。まずは1年生!」
体育館に集まった児童とその家族を前にシンガーは、“リサーチ”から講演ライヴをスタートさせた。
その後はバイオリンでJRの踏切の音、次に小田急線の踏切の音、更には会場沿線の西武線の踏切の音を再現してみせて、会場に感嘆と親近感を覚えさせ、演奏に入って行った。
シンガーの名前は“増田太郎”。
20歳で失明したというプロフィールを臆せず、デフォルメもせず、エンターテイメントする姿に、今更ながら(人ってのはコミュニケーションが大事で、それが自分が好きな事、得意な事で出来るのは素晴らしい事なんだな)と改めて気付かされる。
オーラス前、「エッセイにもつけたタイトル」と“毎日が歌ってる”という曲が始まった。
(“毎日歌ってる”じゃなくて“毎日が歌ってる”なんだ)と、[が]が入らないその訳や、そう表現したい彼の感性に想いを馳せて聴き入る。
“やれるんだ 出来るんだ 今の自分でも こんな自分じゃ 何一つ 出来ないと思ってた 描いてた未来とは少し違うけど あの頃より確かに僕の毎日が歌ってる”
そんな歌詞を青臭く感じず聴いてる自分にちょっと驚いていると、一昨日の豪雨の有明でのワンシーンを思い出した。
一昨日、9月23日はテニスの日。
この日を中心に趣向を凝らしたイベントが日本各地で行われている。
“聖地”有明テニスの森はそのメイン会場として、テニス界のいろんなポジションの人達がボランティアとして駆けつけ、テニスへの感謝の気持ちを込め、様々なイベントを行う。
スタッフの為に用意される弁当の数は約300個。
前日仕込みをしたスタッフが当日も早出で、7時前からどんより曇った空の下で設営を開始。
僅かに用意されている当日受付分を目指すテニスフリークも既にチラホラ。
大半のスタッフも集合時間よりかなり早く集まって来ている。
「何とか午前中、ボレーボレー迄は出来そうだね」
「始まっちゃえば何とかなるよ」
でも、不安を打ち消そうとそんな言葉を掛け合い、会場を作り上げて行くスタッフ達の上に雨が落ちて来た。
最初は「大丈夫!大丈夫!」と言っていられたが、雨粒は見る見るうちに大きくなり、ハードコートは水浸し。
「砂入り人工芝はまだ行ける」と言ってるうちに更に雨脚は強くなり、無情の中止。
それでも集まってくれた数百人の人達の為に何とかしようと、各メーカーはお土産を用意し、翌日から予選開始の東レPPOはコロシアムでの選手の練習を数時間見学可としてくれる等粋なはからいを見せてくれた。
そしてコーチ達は雨が止んだ隙をついて、何とかプレーが出来そうな砂入り人工芝コートに飛び出して行ってワンポイントレッスン開始。
それなのに又雨。
それもいきなりバケツをひっくり返した様な雨、“Buckets Of Rain”。
“やらなきゃいけないことをやるだけだよ。だからうまく行くんだ”
(Buckets Of Rain/Bob Dylan)
あの激しい雨の中、コートから出てくる人達の顔は皆笑顔だった。
撤収作業が終り、学生ボランティアへテニスの日実行委員長が挨拶。
感謝の言葉の合間に彼はこう言った。
「我々テニス界で生きる者にとっては毎日がテニスの日だ」
同じ場にいたプロテニスコーチ達は皆頷き、気持ちが通じ合っているのが良くわかった。
常にテニスを愛し、広めたいという気持ちが学生達に伝わっただろうか。
学校ライヴのシンガーも、単に子供ウケを狙う事は出来たんだろう。
でもショートカットの言葉や振る舞いは心には残らない。
その時届かなくても、心の片隅に残っていた言葉を噛み締める夜は無数にある。
誰かに、何かに、真摯に向き合う時が来た時に、フラッシュバックする言葉、想いは俺等の心の扉の中にあるんだぜ。
2010年9月23日、有明にいた全てのテニスフリークに感謝します。
カテゴリー:Dylan
09/25 23:59
02
Scene 287 [Maggie's Farm]
夕刊一面のカラー写真を見て瞬間的に、(ウソだろ?そんな訳ない!)と記事を読み、ウソじゃなかった事にガッカリした。
ウルグアイvsガーナ戦。
ゴール前でのハンドの決定的写真。
ハンドした選手はゴールキーパーが両手でしっかりセーブする様にボールを止めている。
それだけでなくもう一人の選手もPKに飛びつくキーパーの様に左手を高く差し出している。
まるでゴールキーパーが二人並んでプレーしていたみたいだ。
サッカーは遊びでしかやった事がないから、サッカー界故のダーティーな部分は全く知らない。
テニスの練習試合で、ボールを拾いに行く時間を省く為に明らかにアウトのボールをノーバウンドで「アウト!」と止める事があるが、それを公式試合のセルフジャッジで
明らかに入っているボールをノーバウンドで「アウト!」と止める感じなのか。
勿論それは失点になるが、それどころの酷さじゃやない気がする。
「ワールドカップ史上最高のセーブだと思う。退場する価値はあった」
寅さんだったら、「それを言っちゃあ、おしめえよ」と言ったことだろう。
まあ、これを差し引いても十分楽しませてもらっているのだが。
ウィンブルドンは開幕から微妙な揺れを見せながら終盤に入って行った。
オープニングの錦織圭選手とラファエル・ナダル選手の対決。
フレンチの時のクルム伊達公子選手とディナラ・サフィーナ選手の時の様な確信はなかったものの、ドローを見た時に(おおっ!もしかしたらやってくれるんじゃ……)と感じさせてくれた錦織選手の華。
やはり(やってくれそうだな)と感じさせていたノバク・ジョコビッチ選手の敗退と、ナダル選手の磐石さを演出してしまったアンディ・マレー選手の敗退。
見る角度で変わるいろんなコントラストがいろんな想いを生む。
マスコミは又勝手に、「フェデラー時代の終り」だの「ナダル時代の到来」だの、相変わらずテメエらの文責なしの無様なエレベーター現象。
2年前に同じ事を書き立てられた二人は気にもしないだろうが、“大衆”は見事にこの煽りに乗っちまうんだろう。
アメリカのニューポートって知ってるかな。
ロック・ファンならすぐに、「あ?、ニューポート・フォーク・フェスティバルね」という場所。
1975年の7月25日、ボブ・ディランがアコースティックギターでなく初めてエレキギターを抱えてステージに立ち、“マギーのところじゃもう働くもんか!”とフェンダーのストラトをかき鳴らして、「本当のロックが生まれた」と言われたイベントの開催場所。
そこでウィンブルドンが閉幕した翌日から始まった「Cambell’s Hall of Fame Tennis Championships」。
全米オープンの前身である大会らしく、サーフェスは芝。
1回戦で添田豪選手が第8シードのテーラー・デント選手にフルセットで勝利。
2回戦で惜しくも敗退してしまったが、何かとてもワクワクさせられた。
さっ、もうすぐ梅雨明けだ。
2010.7.10
Chofu
ウルグアイvsガーナ戦。
ゴール前でのハンドの決定的写真。
ハンドした選手はゴールキーパーが両手でしっかりセーブする様にボールを止めている。
それだけでなくもう一人の選手もPKに飛びつくキーパーの様に左手を高く差し出している。
まるでゴールキーパーが二人並んでプレーしていたみたいだ。
サッカーは遊びでしかやった事がないから、サッカー界故のダーティーな部分は全く知らない。
テニスの練習試合で、ボールを拾いに行く時間を省く為に明らかにアウトのボールをノーバウンドで「アウト!」と止める事があるが、それを公式試合のセルフジャッジで
明らかに入っているボールをノーバウンドで「アウト!」と止める感じなのか。
勿論それは失点になるが、それどころの酷さじゃやない気がする。
「ワールドカップ史上最高のセーブだと思う。退場する価値はあった」
寅さんだったら、「それを言っちゃあ、おしめえよ」と言ったことだろう。
まあ、これを差し引いても十分楽しませてもらっているのだが。
ウィンブルドンは開幕から微妙な揺れを見せながら終盤に入って行った。
オープニングの錦織圭選手とラファエル・ナダル選手の対決。
フレンチの時のクルム伊達公子選手とディナラ・サフィーナ選手の時の様な確信はなかったものの、ドローを見た時に(おおっ!もしかしたらやってくれるんじゃ……)と感じさせてくれた錦織選手の華。
やはり(やってくれそうだな)と感じさせていたノバク・ジョコビッチ選手の敗退と、ナダル選手の磐石さを演出してしまったアンディ・マレー選手の敗退。
見る角度で変わるいろんなコントラストがいろんな想いを生む。
マスコミは又勝手に、「フェデラー時代の終り」だの「ナダル時代の到来」だの、相変わらずテメエらの文責なしの無様なエレベーター現象。
2年前に同じ事を書き立てられた二人は気にもしないだろうが、“大衆”は見事にこの煽りに乗っちまうんだろう。
アメリカのニューポートって知ってるかな。
ロック・ファンならすぐに、「あ?、ニューポート・フォーク・フェスティバルね」という場所。
1975年の7月25日、ボブ・ディランがアコースティックギターでなく初めてエレキギターを抱えてステージに立ち、“マギーのところじゃもう働くもんか!”とフェンダーのストラトをかき鳴らして、「本当のロックが生まれた」と言われたイベントの開催場所。
そこでウィンブルドンが閉幕した翌日から始まった「Cambell’s Hall of Fame Tennis Championships」。
全米オープンの前身である大会らしく、サーフェスは芝。
1回戦で添田豪選手が第8シードのテーラー・デント選手にフルセットで勝利。
2回戦で惜しくも敗退してしまったが、何かとてもワクワクさせられた。
さっ、もうすぐ梅雨明けだ。
2010.7.10
Chofu
カテゴリー:Dylan
07/10 23:25
03
Scene 282 [Never Ending Tour]
開演時間10分前頃に中へ入ると超満員。
ステージ上には「前へ詰めて」的なメッセージ。
普通は「押さないで」と来るのが普通なのに今日はキャパ以上に詰め込んでるのか。
後方の一段上がった所の更に奥の壁にもたれて開演を待つ。
何とかステージは見えていたのが、暗転した頃には若干空いてる朝の中央線状態。
バンドマン達が現れてライヴが始まった。
センターマイクが何とか見える。
でも良く見るとディランはステージ上手でキーボードを弾きながら歌ってた。
爪先立ちして背伸びして何とかたまに顔が見えるかどうか。
おまけに照明は場末のキャバレーみたいにずっと暗め。
それでも良かった。
凄いいいライヴだった。
ディランとバンドマン達は演奏以外は何も喋らず、エンディングは例によって全員でステージ最前列に並んでオーディエンスに”がんたれ”。
全ては音に込めたとでも言う様なポーズ。
やり続けて来た者達の繰り出すグルーヴに代われるもの等ない。
フォークだろうがロックだろうがヘビメタだろうが、あいつ等の音楽には根本にブルースがある。
辛い日々をジョークとアイロニーたっぷりに循環コードで歌い継いで行くマジック。
唄うことが、演奏することが好きなんだろうな。
ただやるだけじゃなくて、どこまで自分のスタイルを貫いて本気で出来るのか。
そんな事を熱く語った夜が無数にある。
下手すりゃ未だに汚れきったテメエの事は棚に上げて、愛すべき奴等に説教まがいに一方的に話したりもする。
そんなことじゃないんだよな。
澄んだ心で「自分は心を込めて仕事をしてる」と振り返れるかどうかなんだ。
“Highway 61 Revisited”のエンディングの延々繰り返されるリフと、客席に向けてライトを全開にした”Like A Rolling Stone”の吐き出す様に登り詰めて行くコード進行で高揚した俺は、そんな想いを強くした。
チケットには“BOB DYLAN AND HIS BAND”とだけクレジットされてる。
仰々しいツアータイトルはない。
ディランは今68歳。
5月24日で69歳になるが、1980年終盤からずっと“ネバーエンディングツアー”とファンが呼ぶ、年間100本近いライヴツアーを続けてる。
「やらなきゃいけないことをやるだけだよ。だからうまく行くんだ」と、ずっと唄い続けて行くんだろう。
うまく行くかどうかどころか、今までうまく行ってたと言い切る自信さえない。
でもやらなきゃいけないことはわかる。
テニスだ。
こんな夜は“Workingman's Blues #2”しかない。
2010.3.26
ZEPP Tokyo
ステージ上には「前へ詰めて」的なメッセージ。
普通は「押さないで」と来るのが普通なのに今日はキャパ以上に詰め込んでるのか。
後方の一段上がった所の更に奥の壁にもたれて開演を待つ。
何とかステージは見えていたのが、暗転した頃には若干空いてる朝の中央線状態。
バンドマン達が現れてライヴが始まった。
センターマイクが何とか見える。
でも良く見るとディランはステージ上手でキーボードを弾きながら歌ってた。
爪先立ちして背伸びして何とかたまに顔が見えるかどうか。
おまけに照明は場末のキャバレーみたいにずっと暗め。
それでも良かった。
凄いいいライヴだった。
ディランとバンドマン達は演奏以外は何も喋らず、エンディングは例によって全員でステージ最前列に並んでオーディエンスに”がんたれ”。
全ては音に込めたとでも言う様なポーズ。
やり続けて来た者達の繰り出すグルーヴに代われるもの等ない。
フォークだろうがロックだろうがヘビメタだろうが、あいつ等の音楽には根本にブルースがある。
辛い日々をジョークとアイロニーたっぷりに循環コードで歌い継いで行くマジック。
唄うことが、演奏することが好きなんだろうな。
ただやるだけじゃなくて、どこまで自分のスタイルを貫いて本気で出来るのか。
そんな事を熱く語った夜が無数にある。
下手すりゃ未だに汚れきったテメエの事は棚に上げて、愛すべき奴等に説教まがいに一方的に話したりもする。
そんなことじゃないんだよな。
澄んだ心で「自分は心を込めて仕事をしてる」と振り返れるかどうかなんだ。
“Highway 61 Revisited”のエンディングの延々繰り返されるリフと、客席に向けてライトを全開にした”Like A Rolling Stone”の吐き出す様に登り詰めて行くコード進行で高揚した俺は、そんな想いを強くした。
チケットには“BOB DYLAN AND HIS BAND”とだけクレジットされてる。
仰々しいツアータイトルはない。
ディランは今68歳。
5月24日で69歳になるが、1980年終盤からずっと“ネバーエンディングツアー”とファンが呼ぶ、年間100本近いライヴツアーを続けてる。
「やらなきゃいけないことをやるだけだよ。だからうまく行くんだ」と、ずっと唄い続けて行くんだろう。
うまく行くかどうかどころか、今までうまく行ってたと言い切る自信さえない。
でもやらなきゃいけないことはわかる。
テニスだ。
こんな夜は“Workingman's Blues #2”しかない。
2010.3.26
ZEPP Tokyo
カテゴリー:Dylan
04/25 22:33
04
Scene 275 [一月のクリスマス]
“Christmas in the Heart”
11月に出てたとは知らず、年も押し迫った12月29日に聴いた。
いつもの店のいつものカウンターで。
ディランがあのしゃがれ声でクリスマスソングを唄ってる。
「いいね、人気のない季節外れの海みたいでさ」
何て軽口を叩きながら聴いてたが、祝祭の浮かれ様ではなく、祝祭が表す、生きている事のはかなさ、切なさ、そしてちっぽけな日常のありふれた幸せのありがたさが、心の奥底に沁み入って来る。
家族と一緒に聴く気にはなれずアルバムはしばらくマスターに預ける事にした。
年が明けて同じカウンターで最初に聴いたのは、やっぱり“Christmas in the Heart”
最後はディランが“Amen”と唄ってアルバムが終る事に気付いた。
クリスチャンでも“infidels”でもない俺だが、その“祈り”の言葉がやっぱり沁みる。
新横浜駅前のホテルのチャペル。
シャイなプロテニスコーチの結婚式。
言い慣れない、聞き慣れない「アーメン」。
儀式の持つ意味が妙にリアルに感じられる式だった。
そして披露宴での新郎の会社の社長の祝辞が、俺のAfter the Xmasを締めくくった。
内容は確かこんな感じだった。
「俺がプロテニスコーチとして生きて行こうと決めた時、それじゃ一生続けて喰って行くのは絶対無理だからやめろと言われた。でも俺は今こうやって生きてる。一生テニスで喰って行ける会社になる様に誠実にやって来た。これからも一緒に走り続けよう」
絶対無理?
絶対・愛!
一月のクリスマス。
ありふれた日常のささやかな幸せに感謝。
2010.1.9
Shinyokohama
11月に出てたとは知らず、年も押し迫った12月29日に聴いた。
いつもの店のいつものカウンターで。
ディランがあのしゃがれ声でクリスマスソングを唄ってる。
「いいね、人気のない季節外れの海みたいでさ」
何て軽口を叩きながら聴いてたが、祝祭の浮かれ様ではなく、祝祭が表す、生きている事のはかなさ、切なさ、そしてちっぽけな日常のありふれた幸せのありがたさが、心の奥底に沁み入って来る。
家族と一緒に聴く気にはなれずアルバムはしばらくマスターに預ける事にした。
年が明けて同じカウンターで最初に聴いたのは、やっぱり“Christmas in the Heart”
最後はディランが“Amen”と唄ってアルバムが終る事に気付いた。
クリスチャンでも“infidels”でもない俺だが、その“祈り”の言葉がやっぱり沁みる。
新横浜駅前のホテルのチャペル。
シャイなプロテニスコーチの結婚式。
言い慣れない、聞き慣れない「アーメン」。
儀式の持つ意味が妙にリアルに感じられる式だった。
そして披露宴での新郎の会社の社長の祝辞が、俺のAfter the Xmasを締めくくった。
内容は確かこんな感じだった。
「俺がプロテニスコーチとして生きて行こうと決めた時、それじゃ一生続けて喰って行くのは絶対無理だからやめろと言われた。でも俺は今こうやって生きてる。一生テニスで喰って行ける会社になる様に誠実にやって来た。これからも一緒に走り続けよう」
絶対無理?
絶対・愛!
一月のクリスマス。
ありふれた日常のささやかな幸せに感謝。
2010.1.9
Shinyokohama
カテゴリー:Dylan
01/10 10:04
05
Scene 274 [Christmas in the Heart]
ジョンがいなくなってから29年、30回目のクリスマス。
“Happy Xmas”はここのところ余り聴こえて来なくなった。
12/9、新橋のガード下の古いロックを聴かせる串揚げ屋で、俺達はジョンの日本時間の命日って事でグラスをあげた。
青筋立てて道徳の授業してるみたいな歌詞のメッセージソング。
モラトリアムの期限もとっくに切れてる奴の独りよがりのラブソング。
やたら不安と不満を煽るメスメディア。
敵どころか自分さえも見えていない。
だから尚更もっと見えてない世間のせいにして、無制限に甘えるのか。
利権に群がり保身に走る。
そんな雑魚共が狭くて汚い水槽で泳いでら。
世知辛い世の中。
自分にとってかけがえのないものがあるだけで幸せなのか。
いや、それを大事に出来ていなければ幸せじゃないんだろう。
“イチローさんに限らず、一流選手と話すときに必ず思うのは、自分のやっている競技を大事にしているということ。そういう話を聞くと僕も水泳をより大事に考えるようになるし、知り合いの選手が良い成績を残したりすると、ほかのスポーツには負けないぞ!という気持ちになったりする”前略、がんばっているみんなへ/北島康介著
テニスを生業にしているLadies & Gentlemen、テニスを大事にしてるかい?
そうそう、ディランが来る。
2001年、東京フォーラムの一番でかいホールでのライヴで、繰り返されるリフに挑発された客達は、ガードを無視してステージ前に押し寄せた。
その時に出たアイデアを8年越しで実現させるライヴハウス・ツアー。
ディランが6月に出したニューアルバムのタイトルは「Together Through Life」。
皆テニスが大事な仲間として2010年を楽しんでみないか?
良いお年を。
2009.12.25
Shibakubo2
“Happy Xmas”はここのところ余り聴こえて来なくなった。
12/9、新橋のガード下の古いロックを聴かせる串揚げ屋で、俺達はジョンの日本時間の命日って事でグラスをあげた。
青筋立てて道徳の授業してるみたいな歌詞のメッセージソング。
モラトリアムの期限もとっくに切れてる奴の独りよがりのラブソング。
やたら不安と不満を煽るメスメディア。
敵どころか自分さえも見えていない。
だから尚更もっと見えてない世間のせいにして、無制限に甘えるのか。
利権に群がり保身に走る。
そんな雑魚共が狭くて汚い水槽で泳いでら。
世知辛い世の中。
自分にとってかけがえのないものがあるだけで幸せなのか。
いや、それを大事に出来ていなければ幸せじゃないんだろう。
“イチローさんに限らず、一流選手と話すときに必ず思うのは、自分のやっている競技を大事にしているということ。そういう話を聞くと僕も水泳をより大事に考えるようになるし、知り合いの選手が良い成績を残したりすると、ほかのスポーツには負けないぞ!という気持ちになったりする”前略、がんばっているみんなへ/北島康介著
テニスを生業にしているLadies & Gentlemen、テニスを大事にしてるかい?
そうそう、ディランが来る。
2001年、東京フォーラムの一番でかいホールでのライヴで、繰り返されるリフに挑発された客達は、ガードを無視してステージ前に押し寄せた。
その時に出たアイデアを8年越しで実現させるライヴハウス・ツアー。
ディランが6月に出したニューアルバムのタイトルは「Together Through Life」。
皆テニスが大事な仲間として2010年を楽しんでみないか?
良いお年を。
2009.12.25
Shibakubo2
カテゴリー:Dylan
12/25 23:56
06
Scene 223 [Shooting Star]
一駅手前で読み終えた。
名残惜しくて巻末の年譜をぱらぱら捲る。
「宮城黎子の昭和テニス史-グッドデイズ、グッドイヤーズ、グッドライフ」
全日本選手権シングルス8連覇を含む、全日本単複混合計30個のタイトルホルダー。
1964年「レイテニスショップ」開店。
1967年「伊勢丹テニススクール」開校。
1969年「モダンテニス」創刊。
そしてこの三つの“日本初”。
改めて偉大なパイオニアだと思い知らされる。
でも伊勢丹テニススクールで習っていた頃は、(凄い人なんだろうな)とは感じていたものの、単純に“怖い人”だった。
夏の強化練習のレッスン中に女の子と話してたら、えらく叱られたっけ。
高校卒業を区切りに“選手”をやめて、新宿ACBで演り始めた頃、正月恒例の初打ちに顔を出した。
一緒に行ったダチも同じくバンドに専念してて、俺等のカッコはまあテニスプレーヤーのそれではなく、タイトなパンツにブーツの典型的なバンドマンスタイル。
そんな俺達を見て宮城先生は一言。
「早く着替えてらっしゃい」「いや、テニスの用意して来てないです……」「あらそう、じゃあ仕方ないわね」
“怖い”と感じていたのは、余りに強烈なテニスへの情熱に圧倒されていたからなんだな。
本の内容は宮城先生が生まれた1922年(大正11年)からの半生記。
1922年はウィンブルドンが現在のウィンブルドンコモンに移って来た年であり、日本庭球協会が設立された年でもあり、更に第一回の全日本選手権が開催された年。
そして宮城先生が田園調布に引っ越した8年後1934年(昭和9年)に田園テニス倶楽部開業。
タイトルの“昭和テニス史”は正にその通りだ。
“ウィンブルドン”が1877年から1921年までは、“ウィンブルドン”ではなくウォープルロードで開催されていたこと、“テニスコートの恋”の以前に、現皇后陛下である美智子様が関東大学新人戦で優勝していること等々のエピソードに驚かされる。
全豪の本選に出ていたのに自分では予選だと思い込んでいて、後年になって人に言われて本選に出場していたと知ったというくだりもある。
ハリー・ホップマン夫妻との交友を綴った箇所では、ハリー・ホップマン氏を招いてのレッスンを思い出した。
あの速射砲の様な球出し、全日本ジュニアのチャンピオンの先輩が打ち込んだ球を獲れるか獲れないかギリギリの所に落す配球、ホップマン氏が昼食後の練習に若干遅れて来た時の「名前のわりには急いでないな!」という俺達のコーチのギャグ。
そのコーチがいつだったか、「宮城さんに代って駐車場に車入れたんだけど、“バックは出来ない”らしいんだよね。いつもどうしてるんだろう?」何て言ってたのも思い出す。
とにかくいい本だ。
俺が関係者ということを差し引いても充分おつりが来る。
帰宅して、読み終えた本をキッチンのテーブルの上に置いてiBookを開いた。
メールの受信フォルダに伊勢丹テニススクールの仲間からのメール。
(何だろう?又呑みの誘いか?)と開いたら……。
急に先週の太子堂での出来事、メールをくれた奴の友人と先日たまたま話をしたこと、そして今さっき本を読み終えたことが、このことの暗示だったのかと思えて来る。
そして宮城先生からのメッセージだったのかと、今の自分を振り返った。
全然ダメだな、俺。
頭の中では何故か、(ディランのShooting Starを聴かなきゃ)と俺が俺に言ってる。
お涙頂戴はまっぴら御免でしょうから、最後に「宮城黎子の昭和テニス史」のプロローグのタイトルを記してみます。
「テニスほど楽しいものはない」宮城黎子
合掌。
2007.6.7
Chitosedai1-28-1
名残惜しくて巻末の年譜をぱらぱら捲る。
「宮城黎子の昭和テニス史-グッドデイズ、グッドイヤーズ、グッドライフ」
全日本選手権シングルス8連覇を含む、全日本単複混合計30個のタイトルホルダー。
1964年「レイテニスショップ」開店。
1967年「伊勢丹テニススクール」開校。
1969年「モダンテニス」創刊。
そしてこの三つの“日本初”。
改めて偉大なパイオニアだと思い知らされる。
でも伊勢丹テニススクールで習っていた頃は、(凄い人なんだろうな)とは感じていたものの、単純に“怖い人”だった。
夏の強化練習のレッスン中に女の子と話してたら、えらく叱られたっけ。
高校卒業を区切りに“選手”をやめて、新宿ACBで演り始めた頃、正月恒例の初打ちに顔を出した。
一緒に行ったダチも同じくバンドに専念してて、俺等のカッコはまあテニスプレーヤーのそれではなく、タイトなパンツにブーツの典型的なバンドマンスタイル。
そんな俺達を見て宮城先生は一言。
「早く着替えてらっしゃい」「いや、テニスの用意して来てないです……」「あらそう、じゃあ仕方ないわね」
“怖い”と感じていたのは、余りに強烈なテニスへの情熱に圧倒されていたからなんだな。
本の内容は宮城先生が生まれた1922年(大正11年)からの半生記。
1922年はウィンブルドンが現在のウィンブルドンコモンに移って来た年であり、日本庭球協会が設立された年でもあり、更に第一回の全日本選手権が開催された年。
そして宮城先生が田園調布に引っ越した8年後1934年(昭和9年)に田園テニス倶楽部開業。
タイトルの“昭和テニス史”は正にその通りだ。
“ウィンブルドン”が1877年から1921年までは、“ウィンブルドン”ではなくウォープルロードで開催されていたこと、“テニスコートの恋”の以前に、現皇后陛下である美智子様が関東大学新人戦で優勝していること等々のエピソードに驚かされる。
全豪の本選に出ていたのに自分では予選だと思い込んでいて、後年になって人に言われて本選に出場していたと知ったというくだりもある。
ハリー・ホップマン夫妻との交友を綴った箇所では、ハリー・ホップマン氏を招いてのレッスンを思い出した。
あの速射砲の様な球出し、全日本ジュニアのチャンピオンの先輩が打ち込んだ球を獲れるか獲れないかギリギリの所に落す配球、ホップマン氏が昼食後の練習に若干遅れて来た時の「名前のわりには急いでないな!」という俺達のコーチのギャグ。
そのコーチがいつだったか、「宮城さんに代って駐車場に車入れたんだけど、“バックは出来ない”らしいんだよね。いつもどうしてるんだろう?」何て言ってたのも思い出す。
とにかくいい本だ。
俺が関係者ということを差し引いても充分おつりが来る。
帰宅して、読み終えた本をキッチンのテーブルの上に置いてiBookを開いた。
メールの受信フォルダに伊勢丹テニススクールの仲間からのメール。
(何だろう?又呑みの誘いか?)と開いたら……。
急に先週の太子堂での出来事、メールをくれた奴の友人と先日たまたま話をしたこと、そして今さっき本を読み終えたことが、このことの暗示だったのかと思えて来る。
そして宮城先生からのメッセージだったのかと、今の自分を振り返った。
全然ダメだな、俺。
頭の中では何故か、(ディランのShooting Starを聴かなきゃ)と俺が俺に言ってる。
お涙頂戴はまっぴら御免でしょうから、最後に「宮城黎子の昭和テニス史」のプロローグのタイトルを記してみます。
「テニスほど楽しいものはない」宮城黎子
合掌。
2007.6.7
Chitosedai1-28-1
カテゴリー:Dylan
06/12 21:46
07
Scene 219 [My Back Pages]
“後期高齢者医療制度”
正直最初は「後期」というのは年齢区分ではなく、他のシステム的ニュアンスの表現と思っていた。
実際は「75歳以上の高齢者」だった訳だが、そりゃあ区切られた方は気分悪い。
慌てて“長寿医療制度”なんて言い換えてももう遅い。
75歳以上の人を高齢者の後半と名付けた奴等が、今更何を言うだ。
表向きの言葉にだまされる奴はいつの時代も多いが、それでも人はふと見せる一瞬の本音を見逃さない。
「私達は高齢者の方達を応援します!」みたいなキャッチコピーを出してる企業のお偉いさんが、ビジネス誌で「これからは高齢者をターゲットにしたものがビジネスチャンス」なんて自慢げにコメントしているのを良く見る。
携帯電話メーカーの役員が「携帯電話が大人と若者に行き渡り、今後は子供とお年寄りがターゲット」と言ってる記事を読んだこともある。
そういうのを二枚舌って言うんだよ。
って言うか、その程度のパブリックイメージのコントロールも出来なくて大丈夫か-!
誰だって金が必要な事はわかってる。
自分の今の仕事を生業を言い切れる奴なんてほんの一握りで、殆どの奴等が喰う為、生きる為に働いてる。
「金じゃない」って言う奴は、「金の多い少ないじゃなくて自分の価値観が大切」って言っているんだと、よっぽどの揚げ足取りじゃない限りわかる。
自分の仕事に対して正当な対価が欲しい、出来れば沢山欲しい、でも誰かを欺いたり、金を得ることだけの為に仕事するのは嫌だと感じるのが大人だ。
生業だろうが、そうじゃなかろうが「いつか」という熱い想いだけは持っていたい。
話を最初に戻すと、テニススクールでは以前から「シルバークラス」なんて表現をみかけた。
でも「高齢者として括られてる感じは不快」という声が多く、各スクールはネーミングに苦慮したみたいだ。
NHKの「ゆうゆうテニス」以降は、そのイメージが定着した感がある。
先日電車広告では「マスタークラス」と呼んでいるのを見かけた。
“生涯スポーツ”と言われるテニス。
団塊の世代云々での“ビジネス・チャンス”に、テニス関係者は誠実に対応しているはずだ。
「アニカ・ソレンスタムが引退ですよ」「えっマジ-!」なんて話をした翌朝、今朝の朝刊。
一面のトッピック欄にエナンの写真。
(うん?どこかで優勝したのか?)と見たら、「エナンが引退表明」。
ページを捲りながら、頭の中には同じベルギーの同世代、クレイステルスが浮かぶ。
「現役を続けるモチベーションがなくなった」と発表をもっての引退で、間近に迫ったフレンチもウィンブルドンも出ないらしい。
「フレンチに勝つ事が最大の喜び」と言っていたエナン。
それがこのタイミングで引退。
(そうなんだ……)と認める。
記事には「現役世界ランク1位の引退は初めて」とあったが、それは他人が「もったいない」とか言う筋合いじゃあない。
「悲しいよりホッとしてる」「自分が創設したテニスアカデミーに力を注ぐ」と記事は締めくくられていた。
彼女にとって生涯賞金20億とかは関係なく、テニスは生業だ。
気付けばエナンの記事の下には、「世界トップ10に入れる逸材」という見出し。
エナンに負けない位の大きな囲み記事で「テニス 錦織のコーチ」のインタビュー記事。
iTunesは“Ah,but I was so much older then,I’m younger than that now.”とジョージ・ハリスン、クラプトン、ニール・ヤング、そしてディランが唄うMy Back Pagesを流してる。
「あの頃の僕は老けていて、今の方がずっと若いのさ」BOB DYLAN
2007.5.15
Hoya-Shinmachi
正直最初は「後期」というのは年齢区分ではなく、他のシステム的ニュアンスの表現と思っていた。
実際は「75歳以上の高齢者」だった訳だが、そりゃあ区切られた方は気分悪い。
慌てて“長寿医療制度”なんて言い換えてももう遅い。
75歳以上の人を高齢者の後半と名付けた奴等が、今更何を言うだ。
表向きの言葉にだまされる奴はいつの時代も多いが、それでも人はふと見せる一瞬の本音を見逃さない。
「私達は高齢者の方達を応援します!」みたいなキャッチコピーを出してる企業のお偉いさんが、ビジネス誌で「これからは高齢者をターゲットにしたものがビジネスチャンス」なんて自慢げにコメントしているのを良く見る。
携帯電話メーカーの役員が「携帯電話が大人と若者に行き渡り、今後は子供とお年寄りがターゲット」と言ってる記事を読んだこともある。
そういうのを二枚舌って言うんだよ。
って言うか、その程度のパブリックイメージのコントロールも出来なくて大丈夫か-!
誰だって金が必要な事はわかってる。
自分の今の仕事を生業を言い切れる奴なんてほんの一握りで、殆どの奴等が喰う為、生きる為に働いてる。
「金じゃない」って言う奴は、「金の多い少ないじゃなくて自分の価値観が大切」って言っているんだと、よっぽどの揚げ足取りじゃない限りわかる。
自分の仕事に対して正当な対価が欲しい、出来れば沢山欲しい、でも誰かを欺いたり、金を得ることだけの為に仕事するのは嫌だと感じるのが大人だ。
生業だろうが、そうじゃなかろうが「いつか」という熱い想いだけは持っていたい。
話を最初に戻すと、テニススクールでは以前から「シルバークラス」なんて表現をみかけた。
でも「高齢者として括られてる感じは不快」という声が多く、各スクールはネーミングに苦慮したみたいだ。
NHKの「ゆうゆうテニス」以降は、そのイメージが定着した感がある。
先日電車広告では「マスタークラス」と呼んでいるのを見かけた。
“生涯スポーツ”と言われるテニス。
団塊の世代云々での“ビジネス・チャンス”に、テニス関係者は誠実に対応しているはずだ。
「アニカ・ソレンスタムが引退ですよ」「えっマジ-!」なんて話をした翌朝、今朝の朝刊。
一面のトッピック欄にエナンの写真。
(うん?どこかで優勝したのか?)と見たら、「エナンが引退表明」。
ページを捲りながら、頭の中には同じベルギーの同世代、クレイステルスが浮かぶ。
「現役を続けるモチベーションがなくなった」と発表をもっての引退で、間近に迫ったフレンチもウィンブルドンも出ないらしい。
「フレンチに勝つ事が最大の喜び」と言っていたエナン。
それがこのタイミングで引退。
(そうなんだ……)と認める。
記事には「現役世界ランク1位の引退は初めて」とあったが、それは他人が「もったいない」とか言う筋合いじゃあない。
「悲しいよりホッとしてる」「自分が創設したテニスアカデミーに力を注ぐ」と記事は締めくくられていた。
彼女にとって生涯賞金20億とかは関係なく、テニスは生業だ。
気付けばエナンの記事の下には、「世界トップ10に入れる逸材」という見出し。
エナンに負けない位の大きな囲み記事で「テニス 錦織のコーチ」のインタビュー記事。
iTunesは“Ah,but I was so much older then,I’m younger than that now.”とジョージ・ハリスン、クラプトン、ニール・ヤング、そしてディランが唄うMy Back Pagesを流してる。
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